2009年 09月 30日 ( 1 )

あれから10年経ちました

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ラード氏に教えられたこれを見てふと思いついて物置をかき回したら出て来たモノ。
見ての通り、レイバンのウェイファーラーでございます。よく見るとWAYFARER IIと書いてある。これはだいぶ前に友人が忘れていったもの。たぶん10年なんてもんじゃきかないぐらい昔のこと。

わたしゃ近眼なもんでサングラスにはとんと縁がありませんで、自転車に乗るとかサバゲやるとか、特別な理由の無い場合以外では眼鏡をはずすことがありません。このWAYFARERは返そうと思ったらもう要らないと言われたもんで、物置の棚の上にホコリを被って放置されていたのであります。ネットで調べてみると結構良い値段するものなんですなぁ。

まあ、それはそれとしてなにが10年目かというとこれ
なんてったって隣村wの出来事ですからね。ウチなんて間違いなく10km圏内です。本当に(ry
もう記憶も定かでなくなりつつあるんですが、10年前の事故当日はジョイフル本田の近くにあった会社のオフィス(これは自信を持ってオフィスと言えるようなちゃんとしたところ)で仕事をしてました。外回りの営業の人からの「なんだか東海の原子力施設で事故だってさ。」みたいな電話が第一報でした。今と違ってネットがあるわけでなし(今のネットでも今進行している&自分の身に降り掛かっている事件・事故に関してはとてもじゃないけどリアルタイムで情報が手に入るということは無いですが。)TVのニュースぐらいしか情報が無く、その日は特に普段と変わりなく仕事して帰ったのでした。国道6号線が通行止め、常磐線も運転見合わせとただ事じゃない雰囲気はあったんですが・・・

翌日、役所(たぶん市役所だったと思われ)から「屋外に出るな」と言われて、わたくしも出勤せずに自宅にいたんですが、銀行の借入(手形借入、だったかな)の書き換えで、銀行へ来いと呼び出されて嫌々ながら足利銀行の支店へ出かけたんです。でもって驚いたのがその時の町の様子。町中に人が全然いない。いくら田舎とはいえ、平日の昼間ですから普段はそれなりに車や人の往来があるんですが、これが全然いない。大げさでなくゴーストタウンのよう。西部劇の風でコロコロ転がる植物が道を横切っていても不思議じゃないような雰囲気。
あの光景を目に出来ただけでも中性子線の飛び交う中、会社の借金を返しに出かけた甲斐があったというものです。w

事故直後、たぶん数日後ぐらいの噂では、臨界はすぐに終わって屋内退避はあまり意味が無かったという話でしたが、改めてWikipediaの記事を読んでみると20時間ぐらい続いていたんですねぇ。恐ろしや。

台風とか地震とか、天災も恐ろしいんですが、そのような災害からの復興は比較的単純&短期間なプロセスですみます。ところが原子力事故というのは悪くするとその地には当分人間が住めないということになりかねません。例えばチェルノブイリのように。東海村は原子力関連施設が多くあって自治体として財政的に余裕があるといわれてますが、そのリスクを考えるとどうも割に合わないような気がしてなりません。

原子力に関して否定的ではないんですが、このようなくだらない事故は勘弁して欲しいものです。(汗
by namatee_namatee | 2009-09-30 20:41 | diary? | Comments(5)