オリジナル

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休み明けはネタが(ry
っていうか、身体中だるい。大洗の街中を行ったり来たりしましたからなぁ。(汗

というわけなので、手近なもので。
図は言わずと知れた椎名さんの「Hello Goodbye」。約1年前にリリース。ワーナーミュージックジャパンに移籍後最初のシングル。そして今なお最新のシングルでございます。(汗
そして去年の大晦日のネタと何ほども変わらない写真。w

2枚写っていますけど同じものです。左が通常版で右がライブのチケットと一緒になっていたライブ版とでもいうもの。大阪の「なんばhatch」と「東京国際フォーラムC」でのライブのチケットと同じ枚数だけあるはず。
これ、疑問がありまして、それはオリコンとかの成績にどういう風に反映されたのかですね。ライブ版だけで2,000枚以上(計算上は2,200枚ぐらい?)、通常版や配信と合わせると2,500枚分ぐらいは売れたはず。今のCD売り上げなんて、特定のアーティストさんを除けば微々たるものなので、2,500枚でも週間50位以内、下手すると30位以内ぐらいに入っちゃう。でも「Hello Goodbye」はそういう話を聞きませんでした。チケットと一緒に売ったからランキングにカウントされなかったのかなぁ。握手券とは扱いが違うんでしょうか。w

それはそれ。
この「Hello Goodbye」には先日わたくしが最も椎名さんらしい楽曲と選出した「RUN & RUN」を始め、タイトルトラックの「Hello Goodbye」、「Secret Butterfly」と3曲の当時の(今もですけど)新曲が入っております。どれも素敵な楽曲で、一体どうやってこういう歌を作るのか・・・これは椎名さんを知ってからずっと知りたいことなんですよね。
前にチラッと書きましたけど、椎名さんの場合は作詞作曲アレンジと全てを椎名さんが手がけるということはない。作詞と作曲を同時にしている楽曲はありますけど、アレンジは別の方がされていますし、作詞作曲の楽曲もそんなに多くはありません。にもかかわらず、椎名さんの楽曲は明らかに椎名さんのもので、他では替えのきかないテイストのようなものがある。
そんなものアーティストなんだから感性にまかせて思いついたメロディやフレーズをメモしておいて、専門家に楽曲にしてもらってるんだろ、と言われるかもしれませんけど、そんなに単純なもんでもなさそうですよ。
確かに発端はそのように思いつくのかもしれませんけど、わたくしが知りたいと思うのはもっと具体的なプロセスです。作曲する人、作詞する人、編曲する人、アルバムやシングルにまとめる人、作品に関わる人にはそれぞれの役割があるわけですから、それをどう調整して仕上げていくのか。ただ纏めりゃ良いってもんでもない。前述の通り、椎名さんの作品であるという明確なテイストのようなものは、ずっと昔のアルバムやシングルからあるわけで、それは「椎名へきる」というキャクターが明確にあり、関わる人が認識しているからに他なりません。共通認識がないと統一感は出ないので、関わる人をそういう方向に持って行かないとなりません。

わたくし、最初は渡された歌を歌っているだけだと思ってました。w
マネージャーとかプロデューサーあたりに「今度の歌はこれね。」とかデモテープ(今だとどういう形なのか)を渡されてそれを歌う、そんなイメージ。これだとレコード会社や事務所の「椎名へきる」というイメージ通りの楽曲をその通りに歌うことになって、確かにテイストみたいなものは統一されたものになりますね。
でも、ちょっと調べてみるとどうも様子が違います。椎名さんはかなり初期の頃から、楽曲についてああしたいこうしたいと要望を出していたようで、これが新鮮な驚きでした。「HEKIRU FILE」などによると最初のアルバム「Shiena」は言われた通りに歌っていたというようなことでしたし、たぶん「Respiration」や「No Make Girl」あたりまでは楽曲に対する関与は薄かったのでしょう。でも「with a will」からあとは明確に椎名さんの色合いが感じられるようになりますし、それはどうも当時のレコード会社の意図するものとはずれていくようにも見えます。

商売の面から見れば「アイドル声優」の路線が一番楽だったはずなんですけど、アルバム「Baby blue eyes」以降はそんな路線とは全然違います。ここでその路線変更は失敗だったんじゃないか、というのがよく言われることなんですけど、アイドル声優路線だったら2000年ごろには引退していたかもしれず・・・まあ、それはなんとも言えないことですので、置いておくとして。w
椎名さんの関与が見て取れる「Baby blue eyes」のリリースは1998年。CDデビューの「Shiena」は1994年リリースですから、4年で自身の音楽性を作品に反映させることができるようになったということですかね。これは驚異的ですよ。最初は当時のアイドルの歌はとにかく「B'z」はよく知らなかったと言ってますので、そこから自分のアルバムを作るまでに4-5年というのは大変なもんです。やっぱり天才なんだと思います。>椎名さん
もっともその頃のアルバムを完全に思ったように作れたのかというとそうでもないようですけど。レコード会社や事務所やその他もろもろとの兼ね合いで、妥協していた部分があったようです。にもかかわらず、前述の通り明らかに「椎名へきる」というテイストのようなものは感じられますので、これはおそらく椎名さんだけでなく、スタッフも含めて驚異的にハイレベルなメンバーだったんじゃないかと。
あとはタイミングかな。行きたい方向に行っちゃうだけの実績がすでに作れていたのが大きいのかもしれません。CDが売れた時代でもあったし、声優さんが音楽の分野に進出する嚆矢でもあった。良いタイミングに良い環境にあったというのもあるんじゃないかと思います。

楽曲の作られていくプロセスや椎名さんの音楽の構造の特色についてはインタビューなどではあまり具体的に触れられることがないんですけど、今回の一連のアコースティックライブのMCではそれに触れる機会が多かったですね。全てが語られたわけではなく、断片的な話ですけどね。
そこから読み取れたのは椎名さんは例えば作詞の方とは打ち合わせをするようです。作ってもらった歌詞にここはこうした方が、などと手直しをしながら曲を作っていく、と。当たり前といえば当たり前ですよね。わたくしだって何かの間違いで自分の楽曲を作る羽目になったらそのぐらいのことはします。ただ、それで出来上がったものが明確にわたくしの楽曲になるかというと・・・一曲だけならとにかく、アルバム1枚分とか、下手するとアルバム何枚分もの楽曲に自分のオリジナリティを反映させていけるかとなると、まあ無理でしょう。支離滅裂ななんだかわからんものにする自信があります。w
椎名さんは当たり前のことを当たり前にやっているだけなんですけど、ちゃんと「椎名へきる」を表現して、少なくともわたくしや友人にはそれがはっきりと認識できる、これは大変なことだと思います。

自分で詞を書いて曲も作って、さらには演奏もして歌っちゃう。そういうやり方ができる人もすごいと思いますけど、椎名さんのようにそのスジの一流の専門家と渡り合って、その上で自分の色を楽曲に反映できるってのは、これはこれでやっぱり大したもんだと思いますね。そういう天才なんだろうなぁ、と。>椎名さん
by namatee_namatee | 2015-12-21 22:03 | music | Comments(0)
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