昔々

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ちょっと前のネタ。

納豆と干し芋の国
納豆の国、もしくは納豆帝国の首都は水戸にございます。水戸藩とか水戸光圀とか。桜田門外の変とか天狗党の乱とか。新撰組の芹沢鴨とかも。この手のネタは全く詳しくありませんが、個人的に水戸藩は幕末のテロ担当という印象。w
暴れるだけ暴れたせいか、明治になってからの新政府にはあまり影響力を持てなかった・・・んですかね。まあ、現在の日本で一二をあらそう存在感の薄い土地だそうですし、そんなもんですよ。
そういった土地でも人は住んで生活していたわけでして、長い間には歴史と呼べるようなものも生まれるわけでございますよ。

3月ごろに市立博物館で行われていたイベントが「みとノスタルジア 絵はがきでたどるセピア色の思い出」というもの。どこでも同じなのかも知れませんが、地元の歴史については案外知らないもんで、それぞれがそれぞれの頭の中に昔の情景を覚えているだけだったりしますね。
そういった昔の話となると年寄りに聞くみたいなパターンがありますが、あんなものはあくまでその人の体験と印象に過ぎず、そんな一次資料にシロウトがいきなりあたったって偏った印象をもつのがオチ。
このようなイベントはちゃんと検証と整理がなされたものなので、郷土の歴史の全体を見渡すには役に立つと思いますよ。

鉄道忌避伝説?
茨城町というところがありましてね。ここは鉄道がありません。明治の頃に鉄道を引こうとなった時に地元の人が反対したため、線路は北の方を迂回してしまい、おかげで町の発展が損なわれた、という話をする住民の人が居るんですよ。それも何人も。
これがどうも怪しい。かなり後(昭和の始め)になるんですが、水戸電気鉄道というのがありまして、わずか6年で無くなってしまった路線ですが、確かに水戸から茨城町までの鉄道は存在しました。電気鉄道と言いながら走っていたのはガソリンカーと蒸気機関車という、いかにも納豆の国らしい腰砕けな感じ。
それはそれとして、明治の頃の鉄道技術の限界とか地元が誘致に失敗したとかで茨城町に鉄道が通らなかった可能性は高いのですが、それが地元が強硬に反対したせいということになっている。それ、なんか照れ隠ししてるんじゃないの。w
水戸電気鉄道は明治に鉄道が引かれなくて不便した反省で誘致されたのか、それとも単に後の時代の利便性の追求から作られたのか。これが鍵なような気がしますが・・・

折りに触れて、そういったことを調べたりしてまして、この「みとノスタルジア 絵はがきでたどるセピア色の思い出」もその一環でございます。あまり直接的な資料はありませんでしたし、自分が知っている時代よりはるか昔のものばかりで、まあ昔の様子ですね、といった感想ですが、千波湖のあたりが真っ平らな沼だったり、水戸にも競馬場があったりして、面白いことは面白いですなぁ。
by namatee_namatee | 2013-04-14 20:55 | diary? | Comments(5)
Commented by ボニー at 2013-04-14 22:39 x
日立の鉱山電車も調べてください。
ばぁさんちに行った時によく見てた記憶があるんです。
Commented by ボウコウ at 2013-04-15 01:22 x
そういや干し芋しばらく食ってねえなあ。
国に居た頃はストーブで炙ってよく食べたっけ。
※これだけ言っときゃそのうち送って(ry
Commented by namatee_namatee at 2013-04-15 10:02
>ボニーさま
1960年に廃線になったってWikipediaには書いてあるけど。日立製作所の社史とかにあたってみるとか?

>ボウコウさま
もう旬を過ぎましたぜ。>干芋
売ってないんですよ、これが。
Commented by ボニー at 2013-04-15 21:31 x
おいおい、ワシゃいくつだ?
確かにこの目で見てたのに。生まれる前に廃線じゃ勘定が合わんぞ!
郷土資料館行って調べてくるか。
Commented by namatee_namatee at 2013-04-16 07:14
>ボニーさま
1960年に電車を電車として認識できて記憶もしているなら、3歳ぐらいだったんじゃないの?
つまり1957年生まれ。56歳か。
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